実を申しますと、筆者の通っていた高校はもうありません。
 と書くと、「ああ、原案者さん、もしかして田舎暮らしだったんですね」と誤解なさることでしょうがさにあらず。割と都会にあった筆者の母校は発展的解消を遂げました。今では、某高校の一部に吸収される形になっています。校歌や校章などもほとんどかつての形で残されたようで、それを喜ぶ同窓生も多いようです。「自分たちの高校の魂が残ったんだ!」と。
 でも、筆者はこう考えています。筆者たちが卒業した時点で、あの高校は、筆者たちが通った高校でなくなっていたのではないかと。母校の魂なんてもの、実は学校になんてないんではないかと。
 
 今回のこのお話は、廃校寸前の学校が舞台です。
 でも、廃校になるなんてこと、あんまり作中の高校生たちは気にしてませんね。でも、廃校を控えた高校に通っていた経験のある筆者としては、これが当時の自分の心象風景だったように思えてなりません(もっとも、六〜七年後に廃校になる、という状況だったので、意識しづらかった面もあります)。自分の思い出をひっくりかえしてみると、将来高校が消えてなくなってしまうなんてことはまったく気にも留めていませんでした。そんなことより、もっと別のことに興味がありました。部活の運営が上手くいかない、とか、あの子のことが好きなんだけど告白する勇気がない、勉強がかったるい、嫌いな先生がいる、英語がめちゃくちゃ不得意だ、どこの大学に行こう、とりあえず一度でいいから異性からキャーキャー言われたい、デートしたい、などなど。
 一部は今でも言っているような気もしますが、そんな目の前のあれやこれやがあまりに忙しくて。
 だから、「高校時代ってよかったなあ」と振り返るのは、むしろこうやって社会に出ているというのに小説を書いて日々を過ごしている今頃だったりするのです。なんという時間差攻撃!
 もっとも筆者、高校時代もきわめて地味であり、「え、お前、誰?」とか同窓会で言われてしまうタイプの人間なので、振り返るべき思い出もあんまりないんですけどねー(他人事)。
 なんだか話がものすごい勢いでズレている気がしますね。閑話休題。
 このお話の中で描いてみたかったのは、「高校時代に筆者が意識出来ていたもの」と、「高校時代に筆者が意識出来なかったもの」でした。
 高校時代の、友達と喧嘩したり恋路に破れてみたり、はたまた自分の行く末に悩んでみたり。これはむしろ高校生だった頃の自分の方が、よく把握していることでしょう。
 でも、卒業してから見えてくるのは、むしろ、別の側面です。
 たとえば、先生。
 たとえば、校風。
 たとえば、後輩たち。
 たとえば、後輩たちに手渡したつもりになっている、「高校魂」。
 そうやって、自分たちは前に進んだにもかかわらず学校に残して行ってしまったものたち。彼ら/彼女らは何を思い、そして筆者たちにどう向き合っていたのだろう?
 そんな疑問が、この作品の奥底に潜んでいる作者の視線だったりします。
 
 繰り返しますが、筆者の通っていた高校は、もうありません。
 というより、筆者が卒業してしまった時点で、筆者の高校は、もうどこにもありません。だって、仮に今も母校があったとしたって、そこには好きだった人も、嫌いだったヤツも、いけすかない先生も尊敬していた先生ももういません。母校と同じ名前をした別の学校になっているんです。
 じゃあ、我々は母校に帰ることができないじゃないか、って?
 多分、母校なんてもの、実は自分のハートの中にすっぽりと入っています。
 たまーに自分の心の窓を開いて掃除して見て下さい。そうすれば、埃だらけになりながらも燦然と輝く、あなたの高校があなたの眼前に現れるはずです。
 実はこのテクスト、作者にとってはそんな心の掃除の産物だったりするのは、ここだけの内緒です。
 
 さて、最後になりますが、かような至らぬ作者のテクストを用いて下さる藤森一朗座長をはじめとしたエアースタジオの皆様、演者の皆様、そして何より、観劇下さった皆様に満腔の感謝を捧げます。皆さまのおかげをもちまして、今も筆者は文章を書いています。そんな両の手には収まりきらないような大きな幸せを噛みしめながら、結びとさせていただきます。
 また、お会いしましょう!
 
                                        谷津矢車
                                                                  
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